エジプトの旅 最終更新日
2020.1.31
2019.11.12〜11.19    


 
行きたいと思いつつ、政情や治安を考えて
二の足を踏んでいましたが、ようやく実行できました。
今まで訪れた国々の中で一番カルチャーショックが大きかったです。
右;ギザの3大ピラミッドが望める展望台からの風景です。右からメンカウラ―王、カフラー王、クフ王のピラミッドです。

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エジプト考古学博物館
有名なツタンカーメン王の黄金のマスクが展示されています。多くの出土品を見学するには十分な時間が必要です。

2019年8月1日よりスマホでの撮影がほとんどの遺跡で解禁となったそうです。
ここはカメラは撮影券を購入する必要があります。(スマホはただ)
左:カフラー王の像
右:メンカウラ―王の三柱像
機械もなく、道具も十分でない時代にこんなにもきれいな石像を作るとは本当にびっくりです。

カフラー王(BC2572〜BC2546)
メンカウラ―王(BC2539〜BC2511)
(以後、王の名の後の()内は在位を表します)
左:巨大な立像は数体あり、下から見上げてばかりでした。

右:王子ラーホテプと妻ネフェルトの像
古王国第4期(紀元前2500年頃)の物。
綺麗な色が残っています。
ツタンカーメン王(BC1333〜BC1323)

左:アラバスター製の王の胸像
残念ながら黄金のマスクや人型棺、装飾品等はスマホもカメラも撮影禁止でした。

右:黄金の玉座
背もたれに描かれているのはツタンカーメン王とその妃です。

ル・メリディアン・ピラミッド
ギザにあるピラミッドに近いホテルが最初の宿泊地でした。部屋の窓からピラミッドが見えています。空は砂塵で煙っています
クフ王のピラミッド
ピラミッド最初の訪問は一番大きなクフ王のピラミッドでした。
中腰で長い回廊を上り、王の間へ。
天井が高く広い空間に大きな石棺が一つあるだけでした。
翌日は皆さん足・腰が痛かったようです。
(内部はスマホのみ撮影可)
クフ王(BC2604〜BC2581)
左:クフ王の像
一番大きなピラミッドを作ったクフ王ですが、残存するものは少なく像は手のひらに乗るほどの小さなもの。

右:太陽の船
船はクフ王が死後に乗る船と言われています。とても保存状態の良く、発掘されたすぐ側に展示されています。
風化が進むピラミッド
左:王妃のピラミッド
大きな王のピラミッドの側に小さなピラミッドが複数あります。これらは王妃の物だそうです。

右:遠くからは形を保っていますが、近くによると風化が進んでいます。建設当時は化粧石で保護されていたのが、長い間に剥がされ他の建築資材に使われたそうです。
スフィンクス
左:カフラー王ピラミッドとスフィンクス
一つの岩山を削って作られています。
長さ57m、高さ20m 最大の物です。

右:アラバスター製のスフィンクス
メンフィス遺跡にありますが、ギザの物よりずっと小さなものです。
初期のピラミッド
左:階段ピラミッド
ジョセル王(BC2667〜BC2648)が作っエジプト初のピラミッド。
右:屈折ピラミッド
クフ王の父スネフェル王(BC2613〜BC2589)が造ったとされるピラミッド。途中から角度が変わる変形ですが、建設途中で崩れる危険性が出てきたため、工法を変えたためだと言われています。
左:赤のピラミッド
屈折ピラミッドと同じくスネフェル王が建設したもの。角度が屈折ピラミッドの頂上部と同じです。満足しなかったから、作り替えたのかな。
右:黒のピラミッド
アメンエムハト3世(BC1842〜BC1797)のもので、日干し煉瓦と玄武岩で作られています。化粧石が剥がされた為、風化が進み81.5mの高さが30mまで低くなっています。前出のピラミッドよりずっと新しいものです。
メンフィス
左:ラムセス2世の巨像
新王朝時代に絶大な権力を誇ったラムセス2世(BC1279〜BC1212)。プタハ神殿の入り口に建てられた像15mが地震で倒れ、横たわったまま保存されています。
右:メンフィスの街
古代エジプト最初の首都です。
カイロと比べるとずっと緑が多く、農地も見受けられました。
貴族の墳墓
貴族の墓はピラミッドではなく日干し煉瓦で作られた長方形アスタバ墳です。内部のレリーフも生活を表すもので、ナイル川の魚や漁の様子が描かれていました。
アブシンベル神殿
左:神殿への道
ナーセル湖に添って進んで行きます。奥に神殿が見えてます。
右:大神殿
ダム湖(ナーセル湖)に沈むかもしれなかった神殿です。ユネスコの呼びかけで1036個に切り分けて移築されたもの。残されていてよかったと思いが強かったです。
アブシンベル 大神殿
高さ32m、幅38mの巨大建築。像は4体ともラムセス2世です。内部のレリーフもすべてラムセス2世の偉業をたたえたもの。
92歳まで生き、140人の子供を持ったと言われている偉大な王様です。
この神殿も南のスーダンとの国境警備の目的で建てられたとも言われています。
アブシンベル 小神殿
ラムセス2世の第1王妃ネフェルタリとハトホル女神にささげられた神殿。
像は男性はすべてラムセス2世、女性はネフェルタリです。レリーフはラムセス2世と王妃ネフェルタリがハトホル女神に花束を捧げているシーンです。
アスワンハイダム
金や香油、象牙などの交易地でした。ダムの上からのナーセル湖を望んでいますが、ダムとは思えないほど巨大です。
クルーズ船
アスワンからルクソールまでナイル川を下ります。3泊しましたが、ルクソールでの停泊が2日でしたから、実質2日間の移動です。船室は快適で食事も美味しく、バスでの移動に比べるとずいぶんと擽でした。
コム・オンボ神殿
上エジプトの神 ハヤブサの神ハロエリスとコム・オンボの神 セベクの2神を祀る二重構造の珍しい神殿ということです。右は出産シーンのレリーフです。

早朝で右方向から朝日が差し込んでいます

コム・オンボ神殿 レリーフ
出産シーンや暦などのレリーフがありましたが、衝撃だったのは捕虜のレリーフ。
左:鎖につながれた捕虜。
右手がありません。
右:その右手は餌とされて、ライオンに食べられているシーンです。

井戸
左:コム・オンボ神殿にて
右:エドフ ホルス神殿にて

ナイル川の水位を見るための物
今はもちろんカラカラ。
昔はナイル川がずっと近かったのですね。
ワニのミイラ博物館
ワニのミイラが数体飾られていました。
セベク神はワニの頭を持っていますから、セベクを祀るコム・オンボ神殿の近くにあるのが納得です。
エドフの街
左:神殿へ移動手段馬車に約10分乗ります。往復ともに馬車ですから乗りごたえがありました。
右:エドフの街
車、人、馬車 入り乱れている中を馬車は結構なスピードで走っていきました。
ホルス神殿
ハヤブサの神ホルスを祀る神殿です。初期王朝時代からホルス神殿はあったのですが、この神殿は紀元前57年の完成です。ピラミッドと比較するとずっとあたらしいものです。
右:ホルス神のレリーフ
父オシリス神の仇、叔父でもあるセト神を撃つホルス神の話が刻まれています。レリーフ下部のカバはセト神が変身して逃れようとしている様子です。

エスナの水門
左:下流から小さな船2艘が上ってきました
右:私たちが乗った大型の観光船が入れ替わりに水門に入り、水位が調整されて下っていきます。水位差は6mあるそうです。
水門の幅ぎりぎりに船は入っていきました
ルクソールの河岸(東岸)
左:大型の観光船は横に並んで停泊します。そのため、目的の船に行くのに他の船のロビーを通り抜けて行くのです。
右:小型の観光船
西岸の観光に行くのに渡船として利用しました。バスで橋を渡っていくと1時間かかりますが、船だと10分位です。
王家の谷
左:入口からは専用の電気自動車で移動します。ここからは死者の町です。
右:エルクルン山 この山の形がピラミッドに似ているために、ここがファラオの墓所になったとも言われています。数十人のファラオ達、王妃や貴族等65の墳墓が発見されているそうです。
ツタンカーメンの墓
左:玄室とミイラが収められていた人型棺
右:ツタンカーメンのミイラ
ここを発見したハワード・カーター氏の意見でミイラはここに残されたそうです。そのほかの副葬品、黄金のマスクや人型棺はエジプト考古学博物館に展示されています
ツタンカーメンの墓内部
盗掘を免れた墓は内部のレリーフがきれいに残っていました。
他の王の墓と比べると小さいです。傍にあるラムセス6世の大きな墓の下になっているので見つけられず盗掘から免れたのだろうと言われています。

王妃ネフェルタリの墓
左:墓の入り口
入り口に見学は10分間とかかれています。
右:観光チケットとカメラ券
ネフェルタリのお墓の見学チケットは日本円で約10,000円。しかも10分間。カメラ撮影禁止、スマホのみ撮影可。
高い!でも一見の価値は十分にあります
ネフェルタリのお墓のレリーフ
ネフェルタリはラムセス2世の王妃ですから紀元前1200年以上前の人。レリーフは3000年以上経過しているのですがその色鮮やかさは驚嘆でした。
ネフェルタリの死後の生活が描かれています。
入場は大変な人気で長時間待たされることもあるそうですが、私たちはこの日一番乗りでした。お陰でゆっくりと見学出来ました。でも、10分間だけ。
王の墓とヒエログリフ
左:王の墓
ラムセス4世、6世と内部を見学しましたがレリーフはよく似ているように思えます。この時期になると見飽きた感があります。
右:ヒエログリフのレリーフ
王家の谷にて
左:ハトシェプスト女王葬祭
崖の下に作られた3階建ての葬祭殿。
ファラオが亡くなった時の葬儀の場。広くて長い階段が印象的でした。

右:王家の谷のあちこちにみられる穴。
王子や王女、貴族の墳の発掘の跡なのでしょうか。
ガイドの話では新しく2体のミイラが発見されたそうです。誰のミイラなのかは未発表だとか。
ルクソール東岸 カルナック神殿
アメン大神殿を中心とする広大な神殿です。ハトシェプスト女王、トトメス3世、ラムセス2世等が主な神殿を建設しましたが、その後も建設が続いて広大な広さになりました。
左:オベリスク
数本のオベリスクがありますが、世界に点在するオベリスクはエジプトから持ち出されたものです。
右:ラムセス2世の像
絶大な権力を誇ったラムセス2世はここの建設にも関わっていたのですね。
カルナック神殿

左:壁際に残る建設の跡
日干し煉瓦を積み重ねて上部からレリーフを刻み、崩しながら下部の作業をした。その作業跡日干し煉瓦が残っています。

右:堀跡
ナイル川から水を引き入れ水路となっていたそうです。ここを使って儀式が行われていたとか。
ルクソール神殿
アメンヘテプ3世(BC1388〜1351)とラムセス2世の2人が建設したもの。
夕暮れ時で薄暗くなり始めています。

左:大柱列廊
高さ19mの柱 14本が並んでいます。
右:ツタンカーメン王と王妃の像
放置され荒れ果てた神殿を修復したのはツタンカーメン王でした。
ルクソール神殿
左:第1塔門
真ん中のオベリスク(高さ25m)と入り口両側にラムセス2世の座像があります。
右:ラムセス2世の中庭
ここの像もラムセス2世です。

暗くなりライトアップされました。夜になっても観光客が続々と入場していました。
クルーズ船内アトラクション

左:タンヌーラ・ダンス
綺麗な顔の少年がグルグル回り続けながら、次々に衣装を変えます。かなり長い間回り続けていました。イスラムの修行の一種だそうです。見ごたえ十分。

右:ベリーダンス
豊満な女性でしたが、ちょっと脂肪の着き過ぎかな!