ボリビア パチャママ展望台よりラ・パス市街を望む
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南米 ペルー・ボリビアの旅
2015.1.14〜1.23
最終更新日
2015.3.54


「体力を必要とする場所から行く」のポリシーから今回は南米を旅しました。遠距離・高山病の心配がある中、何とか乗り切って楽しんできました。今までの旅とは全く違った風景・食事・環境に戸惑いながらもここでしか味わえない旅の醍醐味を十分に堪能できました。もう一度行きたい思いもありますが、きっと体力的に難しいでしょうね。右の写真は旅の仲間とウユニ塩湖で撮ったものです。
初めてのビジネス・クラス
今回は長旅なので思い切って成田⇔ロス間をビジネスクラスを利用しました。ウ〜ン、快適。食事もパックではなくお皿でサービスされます。寝るのもゆっくりと横になれます。長距離移動ではエコノミークラスとは天国と地獄ほどの差がありました。
夫と二人「癖になりそう」と。
初めての航空会社
ロスからリマ、リマからペルー国内はLAN航空、クスコから先はアマゾナス航空。どちらも聞きなれない、見慣れない航空会社です。それぞれペルー・ボリビアの会社のようですね。特にアマゾナス航空に乗った時は機体も小さく、席からコックピットも見えていました。
それにしても、アテンダントのスペイン語の早口には感心しました。
クスコでの食事
南米らしい食事はまずクスコのレストランで。
現地の人には申し訳ないけど、決しておいしいと思えるものではありませんでした。
右はそのレストランに飾ってあった食材と思える品々。なじみある食品もありますが、これなに?がいっぱいでした。
クスコ サント・ドミンゴ教会
スペインがインカの建物を壊し、その土台の上にきずいた教会です。インカ時代は「太陽の神殿」と呼ばれ、黄金で飾られていましたが、その黄金はスペインが鋳つぶして本国に持ち帰ったとか。素晴らしい石組の技術だけが今に残っているようです。
石組
石組の技術は素晴らしく、このサント・ドミンゴ教会も1950年の地震でスペインが建てた建物は倒壊してしまいましたが、インカの石組の基礎はしっかり残り今に至っているそうです。積み重ねただけではなく右のように加工して凸凹で組んであるそうです。表面の加工も滑らかで驚く技術でした。
女の子
左はペルー・クスコで。
民族衣装を着て山羊と一緒は写真のモデルのためだそうです。だから子供は手を出しているのですね。
右はボリビア コルチャニ村で。
お土産物店の留守番をしているようです。彼女たちは写真のモデルではないので恥ずかしそうにしていました。
でも、皆学校はどうなっているの?
クスコの路地
旧市街にはこんな古いインカの道があちこちにあります。軒下にシートを広げ露店を出して商っている女性たちがいました。
右は通り沿いの建物の中庭にあるお店です。
ガイドブックにあるお店を探していましたが、ようやくこの中庭に見つけました。なかなかわからなかったはずです。

オリャンタイタンボとインカ・レイル
クスコからバスで悪路を峠越えをして約2時間。ようやくインカ鉄道の駅に着きました。
クスコ標高3400mから空気の薄さを体に感じるようになってからの移動はきつかったですが、ここは標高2800m。少し楽になったような。ここからマチュピチュ標高2000mまで天窓付の列車でウルバンバ渓谷の景色を楽しみながら1時間半の列車の旅です。
マチュピチュ村の露店街
駅付近にたくさんの露店の土産物屋さんがありました。右のトタン一面の写真はその露店の屋根です。ちょっと異様な風景をパチリ。
土産物店でのお買い物はすべて値段交渉から。同じ商品でも店によって言う値段が違います。いかに上手に値切って買うか、言葉がおぼつかない中でも楽しかったです。
ビールとピスコサワー
マチュピチュでおいしかった地元のビール。
そして、リマのホテルで、マチュピチュのホテルでも出されたウェルカム・ドリンクのピスコサワー。口当たりは柔らかですが、アルコール度は結構あるようです。
ブドウ果汁の蒸留酒と卵白を混ぜたカクテルだそうです。美味しかったよ。
高地ではアルコールのまわりが早いのでほどほどに。
マチュピチュでの食事
生野菜のグリーンサラダが出たのはここだけ。南米滞在中、スイカ・メロン・オレンジは出ても、バイキング朝食のセレクトにも、夕食のコース料理にも緑の野菜はありませんでした。トマトはあります。
右はかぼちゃのスープのようです。
味はまずます、でも香りが・・・。
なかなか美味しいものには巡り合えません。
マチュピチュ遺跡
マチュピチュ村よりシャトルバスで約30分程の山の中にあります。
雨季の今、雨は当たり前。しばらくはカッパを着ての見学でしたが、10時過ぎころには雨も上がり午後からは身軽に見学できました。
右の写真は遺跡の小高い場所見張り小屋から見た遺跡の全貌とワイナピチュ(若い山の意)。周りの4000〜6000m級の山々はまだ雲で煙っています。

太陽の門
翌日に遺跡よりさらに奥にある太陽の門に向いました。片道約1時間のミニ登山。
この日も朝は雨。
クスコからインカ道を通ってマチュピチュに向かうとこの太陽の門に来て初めてマチュピチュが見えるそうです。
右の写真は小高い場所から太陽の門を撮ったものです。右手から来て、左の石段がマチュピチュに続く道です。
インカの橋
遺跡からさらに奥に進み、ウルバンバ川を眼下に望みながら細いインカ道を進むと断崖に組まれた石壁に木の板を渡しだけの橋に行きつきます。人が一人通れるほどの狭いこの場所は敵の侵入を板を落とすことによって防いだといわれています。お金を貰っても渡りたくない。壁の反対側は絶壁ですから。
インカの知恵
この四角い石は方位を表しています。
四角く加工された何でもない石ですが、方位磁石を置くと石の四隅が方位を指していることが分かりました。インカ人の知恵に感服するばかりでした。
遺跡の住人
リャマは飼われている家畜です。ほとんどのリャマは草地にいましたが、この一頭は遺跡の石段を下りてきました。びっくり。
右は石棚で雨宿りしているのはウサギの仲間だそうです。
トカゲ
日本で見るトカゲよりずっと太く大きかったです。
左は遺跡の中で、右はマチュピチュ村で見つけました。同じ種類ではないようです。
マチュピチュの花
インカの橋への道で撮った花です。小さな花はランの仲間でしょうか、シンビジュームを思わせます。
右のドラセナみたいな植物はあちこちの木に寄生していました。これは若い株のようでしたが、大きな株も気付くとあちこちの木に寄生していました。
マチュピチュ村
遺跡への観光拠点です。遺跡へはここからバスに乗って30分程上ったところです。
観光客ばかりの小さな村でした。
インカレイルにて
往復共にオリャンタイタンボとマチュピチュ間は列車での移動でした。帰路は車内で現地のお祭りのダンスや車掌さんたちによるアルパカ製品のミニファッションショーで乗客サービス。もっとも後で披露したポンチョなどの車内販売がありますが。
ホテル
左はクスコのホテル。空気の薄いここでは高山病予防に酸素供給ルームでした。
右はウユニ塩湖の塩のホテル。
壁も椅子もすべて岩塩で出来ています。通路の床、部屋の床にも岩塩の粒がまかれていますが、これはちょっと不便を感じました。
インディヘナの女性たち
街中でも民族衣装を着た女性がいっぱいでした。衣装はカラフルです。体格は立派でした。
露店で働いているのも女性の姿が目につきましたが、男性は何処で働いているのでしょうか。
ウユニの町
なぜかしら鉄のオブジェクトがあちこちに。
露店が立ち並び、おもちゃから日用品まで売っていました。
お世話になった車
ウユニでの3日間、お世話になった車です。
トヨタの4駆が目立ちましたが、どの車もしっかり汚れていました。
そして中は。この車は左折中ではありません。直進中です。ハンドルが??
気にならないのでしょうね。窓の開閉も壊れていました。
列車の墓
使われなくなった列車が放置、捨てられている場所です。赤く錆びてしまった車輛がいっぱい。 中にはペイントを施された車両もありましたが、かつては一生懸命働いていたのでしょうね。 遠くに雪をかぶった山が見えていました。
ここは標高3700mです。
コルチャニ村の塩工場
採掘した塩の山が点在していましたが、この塩を乾燥・粉砕して袋詰めまで小さな小屋一棟で済ませるようです。家内工業かな。塩を目分量で袋に入れて右写真の炎でビニール袋の口を溶かして作業完了。
ちなみに袋には1/4キロと書いてありましたが、帰国後試しに計量したところ150gしかありませんでした。

ウユニ塩湖
標高3760mにある100km×120kmの広大な塩の湖です。雨季の今は雨水がたまって乾季とは別の世界になっています。高低差が約50cm。地平線まで白い平らな世界が広がりました。
右はダカールラリーの記念碑。
今年は1月11〜12日に通過したそうです。1週間ほど前のことですね。
ピクニックランチ
塩湖の中でお昼ご飯でした。
広大な景色の中で快適。
食材はいろいろ多彩に、リャマの肉を串焼きにしたものもあり、結構おいしかったです。
リンゴが小さいね。
トリック写真
左は撮影中。
モデルは違いますが、出来上がると右の写真のようになります。
団塊の世代と思しきおじさん、おばさん達が楽しくポーズをとりました。
カメラマンは現地ガイドさんやドライバーさんたちでした。ありがとう。
朝焼け・夕焼け
左はホテル前から撮った塩湖の夕焼け。
この日は到着したばかりで塩湖の中に撮影には行けなかったのが残念でした。
右は朝焼けですが、雲が厚くこれが最高の状況でした。でもしっかり水面に映ってますね。
インカ・ワシ島
ウユニ塩湖のほぼ中心にあるサンゴ礁でできた島です。数百万年前の地球の巨大な仕事に改めて驚きました。
見渡す限りの塩原の中でハシラサボテンに花が咲き、また見たこともない薄い花びらの花。
植物のたくましさにも感服です。

左はマチュピチュにいたスズメみたいな鳥
右はインカ・ワシ島にいた鳥です。
残念ながらコンドルには出会えませんでした。
ラ・パス
標高3650mにあるボリビアの実質上の首都をパチャママ展望台より望んでいます。
すり鉢状の窪地に市街が広がり、日干し煉瓦の赤い色の建物が密集しています。ここでは低地のほうが富裕層の居住区だそうです。
ロープウェイが3ルート低地から高所にあり、今後も3ルート増える予定とか。
観光用ではなく、市民の足です。
ラ・パスの街角
車がびっしり渋滞。なかなか前に進まない中、突然バスの前に出てジャグリングを始める男性がいました。車が動き出すと脇によけ次の車待ち。ちょっとびっくり。
サン・フランチェスコ教会前の広場で楽器を演奏したり、ダンスを披露していた大道芸人さん。
思わぬところでインディヘナの文化に触れることができました。
魔女通り
民芸品やお土産を売るお店がいっぱいの通りです。現地ガイドさんが魔女通りの謂れを説明してくれました。左写真の黒っぽいものはリャマの胎児のミイラです。儀式に使うものらしい。
ちょっと不気味でしっかりとは見る気になれませんでしたね。
民芸品
お祭りに使うお面でしょうか、カラフルです。
男の人の人形は欲しいものが手に入る幸運を運ぶエケコ人形。体中にほしい品々を飾り付けていますね。一体は欲しかったのですが、あまり可愛くはなく、このウィンドウの人形は見た中では一番ハンサムでした。
ラ・パスの車
街中は車でいっぱい。渋滞の中車間はご覧の通り人一人が通り抜けることも出来ないほどに密着していました。
そして、昔懐かしいボンネットバスが。黄色・青色・緑色とルートによって色分けされているのでしょうか。
ティワナク遺跡へ
標高3900mの高地になだらかな山々が続き、その向こうに雪をかぶったアンデスの山々を望みながらの移動です。
遺跡では翌日の先住民族出身の大統領が2期目を当選したお祝いの行事が開かれるとかで準備の最中。でも、明日までに間に合うのだろうかと様子を見ながら私たちはちょっと心配。それほどに準備が進んでいるようにはみえなかったのです。
ティワナク遺跡
インカ文明以前のプレイン化の遺跡です。
現在も発掘調査が進んでいるそうですが、予算が少ない為になかなか進まないとか。
巨大な石の文化は紀元前200年前から続いたそうで、すっかり風化が進んでいますね。
ペルー・ボリビアの犬たち
街中で見かけるイヌ、田舎で見かけるイヌ、どちらもつないだ犬はほとんどいませんでした。あちこちに犬はたくさんいるのですが、放し飼いか野良犬の様子。
肉料理2種
左はクスコのホテルで出たリャマの肉。意外に美味しかったです。
右はラ・パスの5つ星ホテルで出た牛ヒレ・ステーキです。皿いっぱいのサイズには驚き。私のサーロイン・ステーキもこれに負けない大きさだったのですよ。
日本とは料理する前の処理の方法が違うのですね。

フォークロア・ディナー
ラ・パスのホテルで南米最後の夜に民族音楽を聴きながらのリッチな食事でした。
前出のステーキもこの時に出されたものです。
料理はイマイチの感でしたが、音楽とダンスは素晴らしかったです。特に若い女性のダンサーはとても魅力的で可愛らしかった。
夜景と朝の景色
ラ・パスのホテルの部屋から見た町の夜景。
丘陵地に小さな灯りがいっぱいでした。
朝に気づくと部屋の窓からロープウェイが動いているのが見えました。
このホテルは標高3200m。
前日の市街地よりも約400m程も低いのです。

お土産
左は前出のウユニ塩湖の塩。
右はその塩を使った塩入チョコレートとマチュピチュ・クスコで売られていたリャマのキーホルダーです。
ちなみにマチュピチュでは5個2ドルでも売ってくれませんでしたが、クスコでは3個1ドルでした。
また、ボリビア ウユニでは1個1ドルでした。

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